寂しいまま育った少女へ
戦争、高度経済成長、バブル、バブル崩壊、空白の20年、
不況の中、お金至上主義になって行ったように思います。
大人たちが作ってきた世界で子供は翻弄されたのかもしれません。
大人が寂しさを抱えていて、喪失感を抱えていて、愛を探していました。
そんな大人をみて育った子供は同じように寂しさと喪失感と愛を探してきました。
でもみんな頑張っていました。
愛を探して寂しさを埋めて着飾っては喪失感を埋めてきました。
時には社会の枠に収まって、みんなの言う幸せな道を歩いてみたり
時には社会の枠からはみ出て自分だけの幸せを追求してみたり。
「あたたかな愛を知りたい。」誰もがそう、望んでいました。
お金で買えない幸せが欲しい。でも貧困の中お金がなければ生きていけない。
子供を育てていくためには子供じゃなくてお金を見なければならない。
子供を抱きしめる余裕もない 。だって自分が生きるだけで精一杯。
私も抱きしめて欲しい。
人肌に触れるだけで幸せなら、それでいいのではないだろうか。
そんな人も、中にはいたかもしれません。
私は思春期の頃に空白の20年を経験し、様々なことを肌で感じていました。
思い返せば、周りの大人は自分のことしか考えてないクソばっかりだった。(そうじゃない人ももちろんいたけど)
けどね、そのクソな大人だってもしかしたら寂しさを抱えているのかもしれない。
大人も子供も、空白を抱えたまま生きてきた私たちが求めている愛は、大人になったからと言って一方的にはもらえない。
子供だった私たちが大人になった今、弱い存在である子供にできることは何だろう。
今からでも遅くない、信頼し合えて、抱きしめ合える存在をちゃんと作ること。
欲しかった愛情のシャワーはもう、貰えないし要らないけど
私たちのハートの中にある宝物を傷つけ合わない信頼を作っていくことは可能です。
その信頼関係を元に作られた安心は、愛と呼ぶにふさわしい。と私は思います。
そんな幸せの種を紡いでいく事。
とてもとても大事な事だと思います。
レムネル
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※この記事は3年前のものを一部、加筆修正したものです。
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